日本の女子サッカーの歴史
1966(昭和41)年度  女子サッカークラブが結成
(福住小学校(神戸市)6年生26名による。名称は福住女子サッカースポーツ少年団)
神戸女学院中等部女子サッカー部が誕生(部員は、3年生15名)
1967(昭和42)年度   神戸女学院大学で女子サッカーの試合が開催
1978(昭和53)年度 第2回アジア女子サッカー選手権大会(チャイニーズ・タイペイ)(FCジンナン(東京)がに日本代表として参加する)
1979(昭和54)年度 日本女子サッカー連盟が設立
日本サッカー協会(JFA)傘下の連盟として認められる
JFAの登録種別第5種として登録開始(登録チーム数52、選手数919人)
1980(昭和55)年度 第1回全日本女子サッカー選手権大会
1981(昭和56)年度 第2回全日本女子サッカー選手権大会(清水第八SCが優勝(第8回まで7連覇を果たす))
第4回アジア女子サッカー選手権(香港)出場
(日本女子代表チームが初めて編成され、半田悦子選手がグループリーグのインドネシア戦で初ゴールを上げる)
日本最初の国際大会「ポートピア81国際女子サッカー」(イタリア、イングランド、デンマークを招待して開催される)
1986(昭和57)年度 第6回アジア女子サッカー選手権(香港)出場
1989 (平成元)年度 第1回日本女子サッカーリーグがスタート(6チームによる2回戦総当たりの全国リーグが展開される)
第7回アジア女子サッカー選手権(香港)出場
1990 (平成2)年度 第11回アジア競技大会(北京)出場(日本はチャイニーズ・タイペイに3−1で初めて勝利するなど2位となる)
1991(平成3)年度 日本女子サッカーリーグ、参加チームが10チームに拡大
第8回アジア女子サッカー選手権(福岡)出場(2位となり、「FIFA女子ワールドカップ」出場権を獲得)
FIFA主催第1回FIFA女子ワールドカップが中国・広州で開催(日本はグループリーグ3敗)
1992(平成4)年度 第4回日本女子サッカーリーグ(各チームにノルウェー、アメリカ、カナダ、中国、オーストラリアなどの世界を代表する選手が加入)
第1回全日本大学女子サッカー選手権大会が開催(優勝は日本体育大学)
第1回全日本高校女子サッカー選手権大会が開催(優勝は聖和学園高校)
第1回全日本少女サッカー大会が開催
1993(平成5)年度 第5回日本女子サッカーリーグ(前・後期制・チャンピオンシップ制を導入。読売ベレーザが4連覇達成)
第9回アジア女子サッカー選手権(マレーシア)出場
1994(平成6)年度 第12回アジア競技大会(広島)出場(決勝で中国に敗れ、前回に続き2位)
1995(平成7)年度 FIFA女子ワールドカップがスウェーデンで開催(ブラジルを破り1勝を上げる。ベスト8の地位を確保し、アトランタ・オリンピックの出場権を獲得)
第10回アジア女子サッカー選手権(マレーシア)出場
1996(平成8)年度 JFA登録制度種別名変更(登録種別「5種」を「女子」に変更)
アトランタ・オリンピック(「女子サッカー」正式種目に。ドイツ、ブラジル、ノルウェーに敗れ、グループリーグ敗退)
第1回全日本女子ジュニアユースサッカー選手権大会が開催
中学生年代の大会がスタート。後に、大会名称を「全日本女子ユース(U-15)サッカー大会」に変更
第1回全日本女子ジュニアサッカー選手権大会が開催(後に、大会名称を「全日本女子ユース(U-12)サッカー大会」に変更)
1997(平成9)年度 第1回全日本女子ユースサッカー選手権大会が開催(後に、大会名称を「全日本女子ユース(U-15)サッカー大会」に変更)
高校生年代の大会がスタート。(後に、大会名称を「全日本女子ユース(U-18)サッカー大会」に変更)
第11回アジア女子サッカー選手権(中国)出場(準決勝で北朝鮮に敗れたが、3位となり、99年FIFA女子ワールドカップ出場権獲得)
1997(平成9)年度 国民体育大会(大阪府)から正式種目
JFA公認C級コーチ、初の女性誕生(本田美登里氏(現在、岡山湯郷監督)が取得)
1998(平成10)年度 第13回アジア競技大会(タイ)出場
1999(平成11)年度 第11回L・リーグ、規模縮小(企業等の撤退により、10チームから8チームへ)
              第3回FIFA女子ワールドカップがアメリカで開催(ロシア、ノルウェーに敗れ、準々決勝進出を逃し、シドニーオリンピックへの出場権を失う)
第12回アジア女子サッカー選手権(フィリピン)出場
2000(平成12)年度 第12回L・リーグ、開催方法変更(1次リーグ(東日本・西日本)と決勝リーグによる開催)
Lリーグ初の女性監督誕生。(日テレベレーザ大須賀まき氏、JEFユナイテッドレディース 鈴木政江氏)
JFAに女子プロジェクト発足(2002年度に発展的解消し、現在は女子委員会)
2001(平成13)年度 第13回アジア女子サッカー選手権出場(チャイニーズ・タイペイ)(決勝戦で北朝鮮と対戦し、惜しくも破れ、第2位となる)
JFA公認B級コーチ初の女性誕生(本田美登里氏(現在、岡山湯郷監督)が取得)
47都道府県で、ウーマンズカレッジ開催
2002(平成14)年度 第1回U-19アジア女子選手権(インド)出場(U-19日本代表、チャイニーズ・タイペイを破り、アジアで初優勝。第1回FIFA U-19女子世界選手権の出場権獲得)
第1回FIFA U-19女子世界選手権2002がカナダで開催(カナダに敗れたが、デンマークに勝利して、ベスト8進出)
2003(平成15)年度 第14回アジア女子サッカー選手権(タイ)出場(4位となるが、メキシコとのプレーオフを制して、FIFA女子ワールドカップ本大会の出場権を獲得)
第4回FIFA女子ワールドカップがアメリカで開催(初戦アルゼンチンに勝利するが、ドイツ・カナダに敗れてグループリーグ敗退)
JFA・CHQ(キャプテンヘッド・クォーターズ)で、レディースサッカーが重点項目に
U-15チーム創出制度、レディースサッカーフェスティバルなどを開始
2004 (平成16)年度 AFC女子サッカー予選大会2004、東京・広島で開催(日本はグループリーグを首位で突破、準決勝で朝鮮民主主義共和国に勝利しアテネ・オリンピック出場権を獲得)
日本女子サッカー代表チーム愛称『なでしこジャパン』に決定
「スーパー少女プロジェクト」を発足(GKを目指す選手を対象にトレーニングキャンプを行う)
2005(平成17)年度 東アジア女子サッカー大会2005出場(韓国・中国・朝鮮民主主義共和国・日本の4カ国が参加し、日本は3位であった)
AFCU-17女子選手権2005に出場(U-17日本女子代表は優勝した)
第23回ユニバーシアード競技大会(2005/イズミル)に出場(全日本女子学生選抜は3位であった)
2006(平成18)年度 AFCU-20女子選手権に出場(U-20日本女子代表は4位であった)
AFC女子アジアカップオーストラリア2006に出場(3位決定戦で朝鮮民主主義共和国との対戦で敗れ4位。ワールドカップ出場はプレーオフへ持ち越し)
なでしこジャパンFIFA世界ランキング10位
第3種年代の大会規定(女子選手の参加資格)を改定
女子チームに登録している中学生年代の選手が、在籍している中学校のサッカー部員としても大会に出場できるようJFA主催大会の規定を改定
FIFA女子ワールドカップ中国2007予選プレーオフ第2戦 なでしこジャパンワールドカップ出場
メキシコと対戦しプレーオフ総得点で3-2と上回り、5大会連続ワールドカップ出場を決定)
なでしこジャパンFIFA世界ランキング9位
「なでしこチャレンジプロジェクト」発足(なでしこジャパン予備軍ともいえる選手たちを選出・収集し強化を図る)
2007(平成19)年度 「なでしこVision」策定
1.サッカーを日本女性のメジャースポーツにする。
2.なでしこジャパンを世界のトップクラスにする。
3.世界基準の「個」を育成する。
「女子特別指定選手制度」を設置。
第24回ユニバーシアード競技大会(2007/バンコク)に出場(日本女子学生選抜は9位であった)
FIFA女子ワールドカップ中国2007に出場(2007年9月10日開幕)
AFCU-19女子選手権大会2007出場(2007年10月5日開幕)